「君が代」不起立処分の取り消しを求める陳述書

本年(2017年)10月31日付で、「君が代」不起立処分取り消しを求める陳述書を大阪市人事委員会に提出しました。目次と「第6 最後に」の部分を紹介します。

陳述書 (松田幹雄 2017.8.3)目次

第1.略歴(P1)

第2.教員としての基本的スタンスについて(P1)

第3.本件に至る前「日の丸」「君が代」についてとり組んだ内容(P2)
1.1989年天皇代替わりまで(P2)
2.1989年、昭和天皇死去後の「大喪の礼」学校休校と弔意押し付けに対して(P3)
3.1994年Ⅾ●中学校転勤後のこと(P3)
4.1999年国旗国歌法制定で感じたこと(P4)
5.国旗国歌法制定後の卒業式をめぐる動き(P5)
6.2003年3月Ⅾ●中学校卒業式をめぐって(P6)
7.2004年4月T●中学校に転勤してから(P6)
8.2012年3月国旗国歌条例下の卒業式と不起立者への教育委員会の対応(P6)

第4.本件に至る具体的状況(P7)
1.2014年4月N●中学校への転勤から2015年1月23日付大阪市教育長通知を知るまで(P7)
2.2015年1月23日付大阪市教育長通知について感じたこと(P8)
3.大阪市教育長通知に対する質問と学校長の対応の経過(P9)
4.生徒への卒業式での国旗・国歌、「日の丸」「君が代」についての説明経過(P11)
5.「混乱」を理由とした学校長の「説得」・職務命令と2012年3月12日卒業式(P13)
6.上申書・上申書(2)への判断を示さず処分した市教委~職員基本条例は欠陥条例~(P19)

第5.「君が代」強制について感じること(P21)

第6.最後に~職務命令に従わず、「君が代」起立・斉唱しなかった理由~(P24)


第6.最後に~職務命令に従わず、「君が代」起立・斉唱しなかった理由~

  以上、私が、2015312日の卒業式で「君が代」を起立・斉唱しなかった経過と理由について述べてきた。私が起立・斉唱しなかった最も中心的な理由を簡単にまとめると以下である。

 「君が代」起立・斉唱職務命令に従うことは、厳しい生活条件の下に置かれた子どもたちとともに生きる側にいたいと考え、努力してきた教員生活の中で、私が行動原理としたいと思ってきた「自分の保身のために、他の誰かに犠牲を強いることはしない」にまったく反することであった。「君が代」の起立・斉唱は、私にとっては、子どもたちを侵略戦争に動員した戦前の教育に対する反省を捨て去ることを意味すると同時に、その行為を通して、生徒たちに起立・斉唱を押し付ける「調教」の一端を担うことである。数は少なくても必ず存在する、「君が代」の歴史から「君が代」斉唱が嫌だと思っている生徒を更に厳しい状況に追い込む役割を担うことになる。それはできないという思いからの不起立・不斉唱であった。この選択は、認められるべきであると訴えたい。

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